明山崇(あけやまたかし)さんは北海道のニセコで行政書士事務所を開業しています。
札幌から車で2時間ほど、渡島半島の付け根にあたるニセコは良質なパウダースノーでしられる世界的に有名なスキーリゾートで、欧米からの観光客が多く、インバウンドの成功事例として取り上げられることも多い地域です。
観光客の多いニセコでは、ホテルのスタッフやスキーインストラクターなど大勢の外国人が働いていて、ビザの取得や、永住権の取得、国際結婚など様々な手続きが発生します。
その手続きを代行するのが、ニセコの行政書士である明山さんの仕事です。2023年に会社を退職し本格始動をしたばかりですが、別に行っている補助金の仕事とあわせると、開業当初から多くの案件が舞いこみ、忙しい状況が続いています。
今回の取材では、明山さんがニセコの行政書士として独立するまでの経緯、地域に貢献する仕事への想い、志師塾で得たものについて、うかがいました。
1. 「外国人」としての視点
1.1. イタリアへの赴任
ビザの取得は、行政書士のような専門家をのぞくとあまり頻繁に行う業務ではありません。しかし、明山さんは過去に経験があったといいます。それも日本ではなく海外でのビザ取得です。
明山さんが新卒で入った会社では、海外の学校に留学生を送る事業を行っていました。そして、新卒4年目からイタリアのミラノに赴任し、現地で運営しているデザイン学校での留学生のサポートと、自社が保有するホテルの運営に携わりました。
留学生が生活をしていくためには、ビザの取得は必須ですし、現地での家の確保や銀行口座の開設など必要な手続きがいくつもあります。
1.2. 異文化の洗礼
当時はイタリアがEUに加入する前の時代であり、昔ながらのヨーロッパの慣習が色濃く残っていたといいます。
銀行やスーパーでも昼休みは閉まってしまうし、路面電車もいきなり動かなくなったりしてしまう。そんな中で留学生のビザ申請は困難を極めました。申請では、事前に予約を取って行っても、何時間も並ぶのは当たり前で、申請者が並んでいても定時になるとそのまま担当者が窓口を締めてしまいます。ビザの申請には本人の出頭が必須であるため、留学生と一緒に長い列に並ぶことが日課でした。
また、アジア人差別もあり、留学生や自分自身が住む住居を借りようにも、外国人が相手だとわかると電話を切られてしまう、ということも多くありました。
1.3. 外国人が外国で生活する難しさ
そもそも、イタリア語が話せなかった明山さんにとっては、自分自身の日常生活も困難の連続でした。高校時代にアメリカでホームステイをしていた英語力があれば何とかなる、といわれてやってきたイタリアでしたが、実際には殆どの人はイタリア語しか話せません。自社のホテルでも、受付スタッフは英語を話せても、清掃スタッフなどとは意思疎通ができません。そこで、語学学校に通いましたが、日本語が話せる先生はいません。イタリア語で書かれたテキストを渡され、そのテキストを使って単語を覚えるところから始めました。
職場では現地法人の社長と自分だけが日本人で、当時イタリア全体でも日本人は三千人ほどしか住んでおらず、かつその多くが首都のローマ在住であるため、頼りの日本人コミュニティもミラノではあまり大きくありませんでした。
「日本人のお医者さんはいたのですが、歯医者さんはいませんでしたし、美容師も見つかりませんでした。そのため、なかなか思い切れずに髪を半年間切らなかったこともあります。今から思えば20代で若かったので何か失敗してはいけないという思いが強すぎて気負ってしまったのかなと思いますが、現地になじんでいくということは、それだけ勇気がいることなのです」
そうした苦労を経験しているため、外国人が外国で暮らすということの大変さがよくわかるといいます。
1.4. 異文化の魅力
一方で、ミラノ生活の中で、現地の文化には魅了されたそうです。
現地で盛んなオペラは、最初は長くてつまらないという印象でしたが、語学学校で知りあった友人に連れられていっているうちに、学生時代に吹奏楽部に所属していたこともあって、次第に夢中になっていきました。ミラノで開催されるオペラはすべて鑑賞するようになり、ローマやフィレンツェ、さらには国境を越えてザルツブルクなどにも足を運びました。特にベルーナにあるローマ帝国風の円形劇場で上演される野外オペラや三大テノールの一人プラシド・ドミンゴの歌声が、今でも記憶に残っているそうです。
いつの間にかイタリア語も上達し、オペラやテレビも理解できるようになっていきました。
また、本場のワインに触れ、帰国のタイミングから資格取得まではかなわなかったものの、ソムリエ講座にも通いました。イタリア人向けの講座であったため、日本人は珍しかったといいます。
そうして、ミラノでの生活に順応していきましたが、イタリアでの事業から撤退することとなったため5年で帰国することになりました。その後、海外での経験を活かして旅行業界に転職しました。
旅行業界では、予約サイトを運営するベンチャーと学生向けの研修旅行を提供する旅行会社の2社で合計19年勤務し、営業や、のべ数千人の添乗など様々な業務を同時並行的に行う忙しい毎日を送り、ついには札幌支店の支店長となりました。
2. 独立への逡巡
2.1. ニセコとの出会い
そうして順調にサラリーマン生活を歩んでいた明山さんでしたが、転機となったのが新型コロナウイルスの感染拡大です。勤務する旅行会社も影響を受け業務に余裕ができたことから、これからサラリーマンのままでよいのかを考える時間ができたのです。
そんな中で、注目したのがニセコでした。もともと海外に学生を研修旅行につれていくのが会社の主な事業でしたが、新型コロナの元では入出国が簡単にはできません。そこで、海外にいったような経験ができる研修地として選ばれたのが欧米人の多いニセコだったのです。
そうしてニセコを訪問する中で、コロナ禍でも多くの外国人が帰国できずに残っている状況にも関わらず、行政書士事務所を見かけないことに気が付きました。
「この人たちはどうやってビザをとっているのかな、ということが気になりました。
そして、そういえば行政書士の試験に合格していたな、ということを思いだしたのです」
2.2. モヤモヤしながら取得した資格
明山さんが行政書士資格試験に合格したのは2011年のことです。
業務の都合で旅行業務取扱管理者の資格を取った後、受講していた通信会社からダイレクトメールをもらったことがきっかけだったといいます。
当時は、鳥インフルエンザの影響で、海外渡航が下火となり業務に余裕があったことや、勉強する習慣を忘れたくないという思いもあって挑戦をしたところ、一発合格をすることができました。
明山さんはその後も様々な勉強を続け、宅地建物取引士やファイナンシャルプランナーの資格を取得したり、コーチングを勉強したりしました。
「一歩間違えると資格マニアになりかけていたような状況ですが、今思うと、何かをしたくてモヤモヤしていたところがあったのかもしれません。志師塾に入ったことで、何を自分がしたかったのかが明確になったと思います」
2.3. 迷いながら進めた開業準備
ニセコのポテンシャルに気が付き独立を考え始めた後も、悩みは続いていました。
サラリーマンとして生活をしていれば、毎月の給料は入ってきます。小学生の子供もいるし、札幌の自宅のローンもあります。しかしながら、このまま、このままサラリーマンとしての生活を続けていくのが正しいのか、という悩みをかかえながら開業の準備を進めていったそうです。
行政書士として登録をするには一定の要件を満たした事務所を構える必要があります。丁度スキー場の近くで要件を満たす好条件の物件が見つかり契約しましたが、その段階でも、独立を決断しきれてはいませんでした。
もしも独立を中止する場合は、子供とスキーに行く時の別荘代わりにしようというように考えながら事務所の賃貸手続きを進めていったそうです。
2.4. 志師塾との出会い
家族は独立について反対はなかったそうですが、反対せずに自由にやらせてもらった分、迷惑はかけられない。そうした中で、明山さんはインターネットで見つけた志師塾に応募することにしました。
北海道在住ですが、体験セミナーはオンラインではなく、リアルで受講しました。
「ウェブだけでみて決めるのは嫌だな、ということで有給休暇をとって行きました。そして、ここだったら様々なことができるな、と思って受講を決意したのです。」
3. 経営者としてのマインド
3.1. 支店長と経営者の違い
志師塾に入って、もっとも大きかった学びは、経営者としてのマインドだったといいます。
支店長という一見経営に責任がある立場であっても、実際に自分で事業を経営するのとではマインドが異なります。
「五十嵐塾長の、起業におけるマインドセットという講義で、他者依存ではなく自己依存、他責ではなく自責、というお話をうかがい、お客さんは自分に何のためにお金を払うのか、何の『不』を解消するためにお金を払うのか、という根本的な考え方を教えてもらったことがとても勉強になりました。」
3.2. 自分で全部やっていく意識
例えば、Web集客講座で、一から自分でチラシやDMを作っていく経験をしたことで、サラリーマンと経営者との違いを実感できたそうです。
「これまでも支店長として様々な業務を経験してきたつもりでも、自分で全部をやっていくということはサラリーマンではまずありません。もちろん外注に出すところは外注にだしているのですが、組織として動くのではなく、全部自分の責任でやっていくんだという意識が必要で、考え方の違いを実感できました」
3.3. 同期から得た刺激
そもそも、周りにいる同期は既に事業を経営していることが多く、開業準備中のメンバーは珍しかったため、大きな刺激を受けたといいます。
また、そうした周囲の人の存在はマインドを変えるだけではなく、事務所を立ち上げていく中でも役に立ちました。事務所のホームページは、ウェブサイト制作会社を経営する同期に依頼したものです。また、初めての仕事をしていくうえでも同期のつながりを活かすことができたといいます。
4. ネットワークの大切さ
4.1. 「お試し」から補助金申請
「Web集客講座に続いて、補助金コンサルタント養成講座を受講しましたが、講座を受講しても、書いたことがないので勝手がわかりませんでした。そこで、同期に頼んで申請書の作成サポートをさせてもらうことにしたのです」
同期だからこそ初めての補助金申請でもお試しでやらせてもらえます。もちろん、手を抜くわけではありません。明山さんの奮闘により、結果は無事に採択となりました。そして、さらに何人かの同期の申請サポートを行って、こちらもほとんどが採択されました。そのように実績ができると、今度は同期からお客様となる事業者を紹介してもらえるようになりました。そして、今はインバウンド関連など多くの案件が進行中ということです。
「そうやって、自分でやれるという感覚がつかめたことは大きかったです。コロナが明けてくると、会社の方も業績が戻ってきましたので、このまま勤め続ければ毎月の給料はもらえる、という気持ちもでてきてしまっていました。それを振り切って独立できたのは、同期のつながりで実際に仕事をさせてもらっていたからだと思います」
4.2. 地方からでも参加できるネットワーク
北海道在住の明山さんですが、今でも志師塾のOBのネットワークとは密につながっているといいます。埼玉県の実家に月1回程度行っていて、その際に同期とリアルで会うことが多いそうです。
「地方にいるので、仕事で競合するということがないということもあり、良い人間関係が築けていると思います」
5. 地域に根付いた行政書士を目指して
5.1. 地域の課題
勤務先を退職した直後の1ヶ月間だけは収入がなかった月もあったそうですが、人脈を活かしながら、開業した事務所は順調な滑り出しをすることができました。
一方で、積極的な営業活動をしなくてもよいほど多くの案件が全国からきているため、まだ地域の行政書士事務所として定着はできていないことが現在の課題だといいます。
2022年10月の入国制限解除以降、観光客は増えていますが、多くのホテルや観光事業者では人手不足が深刻であり、客室を埋めたくても手が回らず、操業したくても従業員が確保できないために受入制限を強いられる状況が続いています。
「復活したインバウンド需要を背景に、冬のスキーシーズンにむけて新しく事業をしていきたいという事業者が増えており、既に外国人の起業や会社設立に関するお問い合わせが多くきています。スキーインストラクターのように季節労働的に来日する人も多いですので、これからお手伝いできることが増えていきます」
今後は地元の商工会等に入会し、地域の事業者の課題を発掘していく体制を整えていく予定だといいます。
これまでは、仕事を紹介してもらうことはあっても、紹介することはありませんでした。
しかし、地域により根付いていくことで、事業者の課題を見つけていき、自分にできることは自分で、そして他にできる人がいる課題であれば、その人に紹介をしていくことができます。
5.2. 次なる目標
「補助金の申請サポートをしていると、事業者の課題が見えてきます。例えば補助金関連業務では、同期などからの紹介が多かったので、主に遠方の事業者の支援をしており地域の事業者には貢献できていなかったのですが、地域での認知度を高めることによって、全国の専門家と地域の事業者をつなぐハブとして機能し、課題解決の役にたっていくことができるようになります」
少子高齢化の影響が大きい北海道では、労働力をどう確保していくか、インバウンドに対応できる人材をいかに育成して確保していくかなど様々な課題があります。そうした中で、ビザの申請や補助金の申請などを通じてヒトやカネの問題を解消していければ、長年勤めた観光業界に恩返しをしていくことができます。そして、ニセコをはじめとした北海道の世界的に素晴らしい観光地をさらに活性化させることで、地域経済の発展や魅力あるまちづくりに、裏方として貢献していくことができます。
地域の行政書士事務所として、そうした課題を探り、志師塾で得た仲間と共に解決していくこと、それが現在の明山さんの目標です。
文:齊藤慶太(中小企業診断士/全国通訳案内士(英語))/編集:志師塾編集部
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