大阪の守口市で講師業を営んでいる児島貴仁さん。SMIリターンズの代表を務め、社長の右腕を育てる専門家として、個社ごとのワークショップ型コンサルティングを展開しています。
児島さんが提供する現場メソッド「社長のミカタ」、その開発の背景には児島さんが講師業を営む前の製造業での経験が生かされています。
30歳の若さでの社長就任、脱下請けを目指しての社内改革、力及ばず迎えた会社の倒産。その過程で児島さんが学んだ社長の右腕を育成することの大切さについて、お話をうかがいました。
1.社長の右腕を育成する独自メソッド「社長のミカタ」
1.1 現場のトップであるナンバー2の育成が不可欠
「社長は、社内ではなく社外を向いて仕事をしています。だからこそ、社内のことを安心して任せられる右腕、ナンバー2を育てる型を教えていきたいです」
こう語るのはSMIリターンズの代表を務める児島さん。児島さんは、社長の右腕を育てる専門家として、個社ベースのワークショップ型コンサルティングを提供しています。
製造業を経営していた経験から生まれたメソッドですが、製造業以外に当てはめることも可能です。さらにオンラインセミナーも定期的に実施しており、業種・エリアを問わず広くノウハウを共有しています。
「工場の現場で働く従業員は、外部と接する機会が少なく、刺激を得る機会も乏しくなりがちです。ですが外部の変化を捉え、現場に生かす人材がいないことには、会社は生き延びていけません。社長が外に目を向けている分、実質的な現場のトップ、つまり社長の右腕であるナンバー2の育成が組織の存続には不可欠です」
1.2 社長の右腕を呪縛から解放するグループコーチング
児島さんが独自に開発した「社長のミカタ」メソッドの具体的な取り組みの一つが、参加者同士を交流させる、グループコーチングです。参加者の各社のビジョンやミッションの振り返り、参加者同士での共有、そして児島さんによるフィードバック。これら一連の取り組みを毎週実施し、サイクルを回していきます。コーチングを進めていくなかで、参加者は自身が抱えている悩みも共有します。
「社長は孤独と言われますが、実は社長の右腕も同じくらいに孤独です。現場のトップとして社長からはプレッシャーをかけられ、一方で部下からは現場の様々な問題が寄せられます」そんな社長の右腕たちを交流させることで悩みを共有してもらい、自分だけではないから頑張ってみようと思ってもらう。毎週そのセッションを重ねることで、社長の右腕たちはしがらみから解放され、次なるステップへと成長していきます。
社長も社長の右腕も、どちらも孤独を抱えているのは同じです。一方で、両者の間には、成長・成功のイメージにギャップがあると、児島さんは指摘します。
「社長には明確なビジョンがあるので、ビジョンの実現に向けて一直線に成長し、成功することをイメージしています。一方で、社長の右腕が成功に向かう過程においては、成長が停滞する時期があり、曲線的になります。その事実を認識しないと、社長は思ったペースで進まないことにしびれを切らしてしまいますし、社長の右腕も過度にプレッシャーを抱えてしまいます。」
社長が頭の中で考えていることや、プレッシャーにも感じられる言葉の裏にある真意を、児島さんはグループコーチングのなかで社長の右腕たちに伝えます。「社長のミカタ」のネーミングには、児島さんが「社長の味方」となってサポートすること、そして「社長の考え(物の見方)を社長の右腕に伝える」こと、この二つの意味が込められているのです。このように、「社長のミカタ」メソッドでは、社長の右腕の育成と、社長と社長の右腕のギャップを解消することで、会社のさらなる成長につなげていきます。
また、コーチングを週次で設定していることにも意味があります。物事の優先順位を決める際には、「時間管理のマトリクス」という考え方があり、以下の順に優先度をつけるのが良いとされています。
- 第1領域:緊急かつ重要
- 第2領域:緊急ではないが重要
- 第3領域:緊急だが重要ではない
- 第4領域:緊急でも重要でもない
現実には第2領域と第3領域の優先順位が入れ替わり、「重要ではないが緊急なもの」に時間が割かれてしまいがちです。児島さんのグループコーチングは毎週のセッションの時間を予め確保することで、会社が社長の右腕育成を後回しにしないように促します。
2.社長の右腕育成の大切さを痛感した社長業時代
2.1 青天の霹靂。30歳にして社長就任
児島さんは、現在の講師業を生業とする前には製造業の会社を経営していました。社名は「三郷金属工業」。大阪の守口市で、電池の二次加工を中心に取り組んでいました。守口市は過去には三洋電機が本社を置いており、また隣りの門真市には松下電器産業(現パナソニック)の本社があり、これらの企業城下町として知られていました。三郷金属工業も、創業以来松下電器産業の共栄会社として受注生産業を営んできました。
環境が変化したのは2001年。経営難を背景に松下電器産業で大規模なリストラが実施され、三郷金属工業との関係性にも変化がありました。これまでは手をこまねいているだけで松下電器産業の仕事をもらえていたのが、リストラにより企業担当者や決裁権者が若返り、これまでのやり方が通用しなくなっていきました。
仕事が徐々に減少していくなか、白羽の矢が立ったのが当時30歳だった児島さんでした。2005年に、父である2代目社長から3代目社長になるよう言い渡されます。「『いやいや30歳でっせ』と言いましたが、『お前の若い力でとにかく変えてほしい』と。まさに青天の霹靂でした」と、児島さんは当時のことを振り返ります。
2.2 ぬるま湯から抜け出すために、社内改革を推進
「若いうちに事業を引き継いで会社の改革をしてほしい、というのが先代社長の考えだったのですが、無責任なようにも感じました。改革をする組織の土壌ができていない状態で渡されたので」と、児島さんは当時を振り返って語ります。
松下電器産業から全幅の信頼を置かれていたものの、両者の社員同士の関係は長年の連れ添いのようなもので、敬語を使う文化もありませんでした。これでは他社との関係づくりもままならないと感じた児島さんは、社長就任から5年の歳月を費やして、社内の改革を推進しました。
2.3 1,000万円以上を無駄にして、率先垂範の大切さを学ぶ
児島さんが社長に就任した当時、稲盛和夫氏の「アメーバ経営」が取り沙汰されていました。「これだ!」と大手コンサル会社の力を借りたものの、この取り組みは失敗に終わります。「いくら経営者が良いと思って外部のしくみを導入しても、そもそも組織の土壌ができていないので全然上手くいかない。コンサルが提案する期間では結果が出ず、延長で追加費用もかかりました。いくらお金を費やしても、全然使い物になりませんでした」
この時の反省を生かし、次は社内の人間の意見に耳を傾けました。松下電器産業と関係の深いキーマンから「生産管理のしくみを整え、内部の統率が取れるシステムを整えたら上手くいく」との提案を受け、生産管理システムの構築を外部に依頼。ところが実際の現場の意見をフィードバックせずに、キーマンとシステム会社が話を進めてしまったために、このシステムも上手く機能しませんでした。
「外部のシステムを入れても、内部の人間にシステム作りを任せても、失敗に終わりました。ある意味他者に依存していたんだと思います。1,000万円以上のお金をドブに捨てて、ようやく陣頭指揮を執らないといけないのはトップである自分自身だと学びました」
2.4 組織の膠着、そして断腸の思いでの倒産
児島さんの率先垂範の下に社内改革を終え、脱下請けを目指して新規事業に挑戦するものの、メインバンクの貸し渋りにより、2019年10月に三郷金属工業は倒産することになります。
倒産の原因となったのは、多角化による経営資源の分散でした。電池の二次加工における溶接技術を中心に事業を拡大してきましたが、分社化してそれぞれの事業を行った結果、現場責任者がこれまでに経験のない場面に出くわすことが頻発。間違ってはいけないという思いから判断がままならず、リスク回避のため現場責任者が意思決定をせず社長におうかがいを立てる状態になってしまい、挑戦できない組織へと膠着してしまいました。新規事業の芽は生まれていたものの、機会ロスが積み重なった結果、会社の経営は立ち行かなくなりました。
倒産処理時には、社員がパソコンを盗んだり、労基署へ駆け込まれたり、疑心暗鬼になる一方、残務処理に全力で向き合う幹部もおり、児島さんは人間の本性を目撃しました。信頼に足る人物の見極めを正念場で実感。この時の経験が、現在の「社長の右腕が必要」との考えにつながります。
2.5 救いの手を差し伸べてくれた、地域の社長たち
自己破産し、どん底に追い込まれ失意に暮れていた児島さん。救いの手を差し伸べてくれたのは、地元守口市の商工会議所に所属する会社の社長たちでした。2019年の倒産時、三郷金属工業は創業70余年を迎えており、地元の商工会議所にも会員として長年所属していました。また、児島さんは商工会議所の取り組みでは現在のグループコーチングの前身となる「幹部交流会」の旗振り役を務めており、地域の会社同士の交流に貢献していました。
「地域の会社の社長からは、『お前の会社はリスクが高すぎて救えない。救いたくない。だけどお前は救いたいと思う。この会社の負債はお前が親父から引き継いだものだ。背負わされたものを降ろすなら救ってやる』と言われました。また『うちの社員にその経験を伝えてくれないか』とも言われました。確かに、先代のバトンを引き継いだり新しい事業を始めたりする際には、私の経験が生きるかもしれないと思いました」
地元の経営者仲間に背中を押され、児島さんは「しくじり社長」として自身の経験を伝える、講師業として再起することになりました。現在の社名「SMIリターンズ」は、「Sango Metal Industrial(三郷金属工業)」の頭文字を取ったもので、地域の社長たちに恩返しをしたい、いつの日か地元に返り咲きたい、という思いを込めたものです。
3.志師塾で磨き上げた「失敗のメソッド」
3.1 講師業の型を身に付けるべく、志師塾の門を叩く
これまでの経験を基に講師業を始めた児島さんですが、体系的に教えるための型を身に付けたいと考えるようになりました。またつながりのあった地元企業から仕事をいただけていたものの、このままでは関係性に依存しているだけで新規の仕事が獲得できない、という思いから、志師塾の門を叩きます。
志師塾のカリキュラムでは自身の商材を受講生同士で紹介する機会がありました。その際に周囲からは「倒産の経験は、コンテンツとして重たすぎる」と言われます。この言葉を受け、自身の経験を教育メソッドに昇華させる思いを新たにします。「重たいからこそ、伝えていきたいと思いました。倒産時の瀬戸際の壮絶な話は、たくさんの社員の生活を預かっている社長にとって、聞いておいて損はない内容なので」
3.2 成功ではなく、より普遍性のある失敗のメソッドを提供
巷には成功メソッドのノウハウが数多くあふれています。児島さんが伝えているのは、その逆の失敗メソッド。「成功するかどうかは会社ごとの要因があるので不確実ですが、失敗には普遍性があります。失敗を消すことで成功に近づけると考えます。営業の際には、『失敗の経験を買いませんか』とアプローチしています」
4.全身全霊で企業の成長に寄り添う
4.1 役職者は役職者にあらず
児島さんは社長の右腕育成において「役職者は役職者にあらず」と考えています。役職者は、その役割を果たすスキルを身に付ける前の段階で任命されることが多いです。「それを誤解して、自分は役職者の器ではないと悩む社員をこれまでたくさん見てきました」と児島さんは語ります。また役職者なのに失敗してはいけないという思いこみで身動きが取れなくなる社員もいるとのことです。
「大いに失敗して良いんです。その姿が周囲に勇気を与えます。失敗しても良いと思える組織は、チャレンジする組織になります。失敗する姿も示しながら、部内の人と一緒に成長していく。そうすることで組織自体が大きく成長していきます」
4.2 開発過程にある社長向けメソッド
社長の右腕育成のメソッドを提供している児島さんですが、現在、社長自身を対象としたコンテンツも作成中とのことです。
「社長向けに提供できるメソッドとして、事業承継支援につながるものを考えています。今の講師業の仕事をしていくなかで、社員の成長に立ち会う機会は多くあります。喜ばしい反面、自分はこの場所を失ったのだな、と寂しく思うこともあります。世の社長には、会社をつぶしてほしくない。その一心です」
しくじり社長として、自身の失敗経験と社長の右腕育成メソッドを伝える児島さん。全身全霊で社長を支えたいという思いを胸に、まい進を続けます。
▼児島さんの『社長のミカタ』右腕育成プログラムの詳細はこちら
文:加茂智/編集:志師塾編集部
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