facebook

【卒業生インタビュー】 会社と従業員を助ける危機管理 ~危機管理とコンプライアンスのスペシャリスト 田中直才さん~

社会保険労務士・企業危機管理士としてHK人事労務コンサルティングオフィスを運営されている田中直才さん。

社会保険労務士というと、一般に人事制度が専門というイメージがありますが、企業危機管理士という資格も持つ田中さんは企業の危機管理・コンプライアンスが専門と自認していて、仕事も半分は事業継続計画(BCP)やコンプライアンス体制構築のためのコンサルティングなのだそうです。

なぜ危機管理やコンプライアンスが重要なのか、お話をうかがいました。

1.危機管理とコンプライアンス

1.1 危機管理とコンプライアンスの専門家

田中さんは、現在は大阪市を拠点に活動しています。

「人事労務面におけるどんなささいな不安も解消する」「危機管理の充実により会社を危機にさらさない」を理念にかかげていて、中小企業経営者に寄り添う姿勢は、顧問先から「いつでも親身になり対応してくれる」と高く評価されています。

田中さんの持つ企業危機管理士は、コンプライアンス、パワハラ、情報漏洩、不正表示、データ改ざん、過労死などの企業危機発生時の対応と対策のプロフェッショナルというべき資格です。

現在の業務の半分は、危機管理・コンプライアンス体制の構築であり、これらの案件は中小企業より大企業の方が関心を持つことが多く、1件1件が大きな仕事となっているとのこと。

従業員の安全対策を含めたBCP策定支援やハラスメントの撲滅、社員の適正なSNS使用等、会社内部の環境整備を通じてコンプライアンス体制構築の支援をしています。2021年には「中小企業の危機管理がわかる本」という書籍も上梓しました。出版社側の提案で「中小企業の」と銘打っていますが、実際には大企業でも活用してもらえる内容になっているそうです。

1.2 個人のせいにしないしくみづくり

コンプライアンスの現場を見ていくと、様々な状況に出会うといいます。

例えば、製品出荷前に行わなければいけない試験が、書類だけで実際には行われていない、というようなケースに遭遇したことがあるそうです。事情を聞いてみると、育休とメンタル面の問題から職場人員が2人減の状態となっていて、業務がまわらず、悪いことと自覚はしつつも、欠品を避けるためにやむにやまれずしていたことでした。

田中さんは、単に個人のせいにするのではなく、そうしたことが起きる会社の体制を見直していく必要があるといいます。一面的に「やった人が悪」だけではなくて、そういう人間を発生させないような、社内体制のしくみを構築していかないと最終的に大きな問題につながってしまいます。田中さんは日々顧客企業の社員に対するヒアリングや、コンプライアンス部門との議論などを通じて、社内体制のしくみづくり支援をしています。

こうした活動の原点として、大手製薬会社に勤務していたころに労働組合の専従役員を長く務めた経験があるといいます。

1.3 危機管理に携わった労働組合時代

労働組合の専従役員は、労働者の代表としての立場から、様々な計画策定に携わります。その一つに事業継続計画(BCP)があります。

例えば、鳥インフルエンザが話題となったときには、現在の新型コロナウイルス対応を先取りするような取り組みも経験したそうです。鳥インフルエンザがまん延し、従業員を待機させなければならない状況でも、工場は稼働しなければ製薬会社としての使命を果たすことはできません。それならば、工場を操業するためには最低限この人に出社してもらわなければならない、ということを決めておく必要があります。

さらに、そうして感染リスクにさらされる中出勤をお願いする社員の安全のために、本来自動車通勤は禁止でも、危機時には当該社員だけは感染をさけるため自動車通勤ができるようにするなど、マニュアルを整備していきました。

1.4 東日本大震災で得た気づき

そうした中で、田中さんにとって忘れられない思い出として、東日本大震災の際の従業員との話し合いがあるといいます。

福島第一原発事故では、放射能汚染の懸念から多くの医薬品メーカーが福島から退避しましたが、現地には医薬品を必要としている人や治療にあたる医療従事者も多く残っていました。そこで、メーカーだけが退避するわけにはいかないという思いのもと、田中さんの会社だけは退避しませんでした。

田中さんは労働組合の専従役員として、現地に足を運び現地の従業員の意見を聞き、会社と折衝する立場にありました。その中で、会社の事業継続という観点だけでなく、従業員の不安と向き合う必要性を感じたといいます。

現地の従業員も会社としての使命感は理解していました。しかし、自分の安全や健康も当然ながら気になります。

当時は原発がもう1回爆発する可能性も否定できない緊迫した状況であり、そうした事態になったときにどのようにしてその情報を流してくれるのか、風向きによっても逃げる方向が変わってくるがどのようにしたらよいのか、ガイガーカウンターや被曝から身を守るためのヨウ素剤は配布してくれないのか、将来的に癌になったら労働災害として扱ってくれるのか、などいろいろな検討事項が出てきました。

また、会社の安全確認システムは、会社として安全確認をするシステムであって、従業員の安全を確保する性質のものではないと気付かされたといいます。

例えば津波が来たとき、従業員が会社に安否を連絡するのが安全確認システムですが、従業員の目線で欲しいのは、津波が起きて逃げなければいけないことを教えてくれるシステムです。

こうした経験から、会社と従業員を守っていくためには、単なる事業継続という視点だけでなく、そもそもの危機に対する対応としての危機管理ができていなければならないということを感じたそうです。

2.想定外の連続だった会社員時代

2.1 製薬会社との出会い

田中さんの会社員人生も、様々な「事前に想定していなかったこと」への対応の連続でした。

もともと製薬会社に就職したのは、たまたま本社ビルを見かけて興味を持ったためだといいます。本命は生命保険会社であり、テレビに出てくるようなエコノミストになりたいと考えていたため、製薬会社は気軽な気持ちで受けたそうです。

実際に生命保険会社の内定もとっていた田中さんでしたが、思いもよらない事態がおきます。生命保険会社は自社の利益につながる生命保険のみを売りつける人をだます商売というイメージをもっていた家族に猛反対をされ、徹夜で説得されてしまったのです。その説得に負け、最終的に製薬会社に入社することになったのです。

2.2 説明能力を鍛えあげられた営業

製薬会社では、経営企画や人事などスタッフ職を想定した入社だった田中さんですが、ここでも想定外が続きました。スタッフ職に配属される前に、最初は会社を理解するために営業職を経験していた方が良いという考えから、営業職に配属されたのです。

田中さんは有名な大学病院での営業担当に配属されましたが、とても苦労をしたといいます。現在では文系出身者でも医薬品の営業を担当することはよくあることですが、田中さんが就職した当時は薬剤師資格保有者等、当該分野の専門知識を持っている人が担当することが普通でした。そのため、専門外から参加した田中さんが付け焼刃の知識を身につけてもなかなか追いつくことができなかったのです。

特に田中さんが担当した大学病院の医師は最先端の研究をしているような専門性の高い医師が中心で医師の中でも特に優秀な人ばかりであったために、最初の頃は、説明内容をすぐに論破されてしまい、勉強不足を指摘されることも多かったといいます。

また、医師は忙しい人が多く、短い時間で説明をすることが必要となります。例えば、大学病院で朝の症例検討会を開催する際に、その前の10分か15分ぐらいの時間をもらって説明をする、という具合です。

こうした状況に対応をするため、田中さんは数多くの医療論文を読み込んだり、会社のグループ学習会に参加をしたりして力を磨いていくことにしました。

幸い、田中さんの会社では、そうした短い時間で伝わりやすくする表現力や資料作成能力を鍛えるためのノウハウが蓄積されていて、先輩たちにマンツーマンで教えてもらうことができたといいます。とはいっても、形式知としてではなく、暗黙知的な内容が多かったため、先輩たちの前で何度も実演をしてし、ダメ出しをもらうということを根気よく繰り返していきました。

そうした努力を積み重ねるうちに、もともとエコノミスト志望であったこともあってか、知識や説明能力がつき、いつの間にか大学病院の医師たちの信頼も得て、スタッフ職配属の前に一時的に経験するだけだったはずの営業職を結局9年続けることとなりました。現在も、当時身につけた能力は仕事に役に立っているそうです。

2.3 労働組合との出会い

労働組合の仕事との出会いも想定外のことでした。

労働組合では、自分が組合の業務を退任したいときは自分で後任を探してくるという慣習があり、田中さんは、退任を考えていた社内の先輩からの誘いを受けたのです。

当初興味がなく何度も断ったそうですが、熱心に誘われた結果引き受けることになりました。さらに、通常は労働組合での業務は4~5年程度で退任するのが平均的ですが、田中さんは労働組合の支部での仕事ぶりが認められ、労働組合の本部に来てほしいという話になりました。

労働組合の本部では、会社のリストラ策に同意をしたことから、不信任票を投じられるなど苦労をしたそうですが、東日本大震災の対応などが評価され、事務方の責任者にまでなりました。結果的に、労働組合での業務は10年以上に及ぶこととなりました。

2.4 コンプライアンスの重要性を確信

労働組合の業務を続ける中で、田中さんはコンプライアンスに興味を持つようになり、労働組合を退任するときに、コンプライアンス部門への異動を志願しました。

例え一社員のコンプライアンス違反でも、会社全体の評判を下げ業績にも影響を与えるという意味で、コンプライアンスは危機管理の一種と言えます。危機管理の重要性を知っていた田中さんは、今後コンプライアンスは注目されるだろう、と考えたといいます。

もともと製薬メーカーでは、医師を接待して受注をとるようなことも多く行われていたこともあり、2016年ごろではまだまだコンプライアンスは流行りの話題ではなかったといいますが、田中さんには必ずやコンプライアンスが注目される時が来るだろうという確信があったそうです。

そして、支店長や営業所長に指導をしながら、現在のコンプライアンス重視の流れの先掛けのような業務をしていきました。

3.志師塾で得たもの

3.1 本当にやりたいことをやるためのマーケティング

田中さんは2020年に危機管理コンサルタントとして独立しました。独立準備として、労働組合時代の知識や、厚生年金や健康保険組合の理事を兼任していた経験を活かせるとの判断のもと、2019年の社会保険労務士試験を受験し、一発合格もはたしました。

田中さんの義父が社会保険労務士で、義父の関係先の税理士・司法書士などから雇用調整助成金の業務を紹介してもらえたことで、独立後の仕事確保は順調に進んだそうです。しかしながら、本来やりたい企業危機管理やコンプライアンスのコンサルティングの仕事をしていくためには、これまでの会社員人生では経験のないマーケティングの知識をつけていく必要を感じたそうです。

そこで見つけたのが、Web集客をはじめとした先生業のためのマーケティングを教えてくれる志師塾でした。

3.2 人との出会いからの広がり

志師塾では、「先生ビジネス」に特化したビジネススクールであるため、様々な「先生」たちが集まります。そして、そこでの出会いが田中さんの仕事の仕方を大きく変えたそうです。

「会社員時代はいろいろな人といろいろな付き合いをしてきたけれども、今後は一人で仕事をしていくことになるのだろう」という意識が独立したときは強かったといいます。

しかし、志師塾で様々な先生たちと出会って、人脈を広げることによって仕事が広がっていくんだなということを実感するようになります。

人との出会いから仕事が広がっている例として外国人経営者との出会いがあります。飲食店を経営する顧問先のベトナム人経営者との出会いをきっかけとして、人材が採用できずに苦しむ企業に外国人を紹介する職業紹介の事業を始めることになりました。

最初は単純な職業紹介でしたが、外国人採用は制度が複雑であり、様々な在留資格ごとにその外国人ができる仕事も変わってきます。

例えば在留資格「技能実習」と在留資格「特定技能」はどのように違うのか、といったような様々なしくみを理解しておくことは、外国人採用をする企業にとって大変な負担です。

田中さんは職業紹介を行っていくうちに、紹介先の企業がそもそも外国人採用というもの自体について、どう進めていけばいいかわからない、という悩みがあることに気づきました。そして、外国人採用に特化したコンサルティングをしていくことで、外国人採用に関する壁を取り払っていくことを進めていくようになりました。

現状はコロナ禍でまだあまり進んでいないということですが、在留資格「特定技能」を持つ外国人の生活のサポートなどをする登録支援機関にもなり、今後は様々な範囲に事業を広げていきたいと田中さんは考えています。

さらに、一般社団法人海外人材雇用支援機構と提携し、そこのアドバイザーに就任したことで、ベトナムだけではなく、インドネシアやミャンマー、タイ、フィリピンなど人材供給可能な地域も広がっていて、人との出会いから新たな事業へと夢が広がっている状況です。

研修中の田中直才さん

こうして人脈を作って仕事を増やしていく際の心構えとして、志師塾の教えである「報連相」が大事だといいます。会社に属していなくても、上司がいるわけではなくても、仕事を紹介してくれた人には、ちゃんと進捗状況を報告していきます。そうすると、相手も喜んでくれて、次の仕事につながっていくのです。

また、レスポンスの速さも意識しています。間を置かれてしまうと、相手もどうなっているのか、どのように扱われているのか気になってしまいます。そのため、早くレスポンスをするということが、相手の気持ちに寄り添う第一歩だと考えているそうです。

志師塾で出会った人たちとは、2ヶ月に1回勉強会を開催するなど、交流を続けていて、田中さんの財産になっています。

3.3 トンガリポジションの重要性

志師塾に入ったもともとの動機であるマーケティング知識についても得るものが大きかったといいます。特に「とんがりポジショニング」は意識して実践しているそうです。

社会保険労務士などの資格を取ってみるとどうしても様々なことができると謳いたくなりますが、この分野、というのに特化しないと注目してもらえません。

田中さんの場合は現在危機管理コンサルタントと外国人採用の二つに絞っています。また、ブログを書いて情報発信も続け、SEOに力を入れています。その結果、「大阪 社労士 危機管理」で検索するとトップで名前が出てくるまでになっていて、研修の依頼はホームページから来ることが多いそうです。

こうしたマーケティングの効果もあり、今では助成金申請などの業務は最低限に抑えて、本来やりたかった危機管理・コンプライアンス関係の構築をメインにできるようになりました。

危機管理コンプライアンスを教える田中直才さん

4.社会貢献ができる専門家に

4.1 屋号の由来

そうした活動の一方、田中さんはプライベートでは日本や中国の古代史研究を趣味としていて、近畿圏の主要な神社・仏閣にはほとんど行っているといいます。

月に一回開催される歴史コミュニティで、日本史や世界史の勉強をしているそうですが、その中でも田中さんのお気に入りは中国の春秋戦国時代です。

「HK人事労務コンサルティングオフィス」という屋号のHKという部分は、その時代の商人である「白圭」に由来するといいます。

白圭は司馬遷の史記の中の一章で商人を扱った貨殖列伝に登場する人物です。豪商であるにもかかわらず自分自身は質素な生活をしていた一方で、地域の住民のために私財を投げうって川の氾濫を防ぐための堤を作るなど、CSRの元祖とも言える人物です。

宮城谷昌光著「孟嘗君」では、中国戦国時代を代表する戦国四君の一人で「鶏鳴狗盗」の故事で知られる斉の孟嘗君の育ての親という役回りを与えられて、前半の主人公となっている人物でもあります。

4.2 「白圭」のように

宮城谷昌光ファンの田中さんは、白圭の物語に感動し、いかに白圭のように自分だけではなく他人の利益と両立できるかということを日々意識していて、将来的には本当に困っている会社向けに社会保険労務士として、プロボノ活動をしていきたいと考えているそうです。

「本当に困っている会社に、無償で力になれるようになりたいです。そのために、志師塾で学んだことを実践し、早く無償で社会貢献ができる規模にまで、事業を成長させたいです」田中さんはそう将来の夢を語ってくれました。

文:齊藤慶太/編集:志師塾編集部

年商1,000万円以上を目指したい士業・コンサル・講師・コーチ・セラピストなどの先生業の方は、田中さんも学んだWebを活用し、高単価で安定的に顧客獲得するためのノウハウを、学んでみてくださいね。

先生業のためのWeb集客セミナー

関連キーワード

PAGE TOP
MENU
体験セミナー

TEL:03-5937-2346

カスタマーサポート(9:00 - 18:00 土日祝日除く)