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【卒業生インタビュー】 法律を味方につけると企業は元気になる ~新潟の会社の社外法務部 田村芳枝さん~

司法書士として、地元の新潟県で独立開業されている田村芳枝さん。司法書士としては珍しく、試験合格後に他の事務所で実務経験を積むことなく、即独立をして活躍されています。

肩書は「新潟の会社の社外法務部」その名の通り、一般的には登記業務の比率が高い司法書士業界において、田村さんは中小企業・個人事業主との顧問契約に力を入れて活動をされています。

「司法書士として異端である」と自ら語る田村さんがどのような思いで活動されているのか、これまでの経緯とあわせてお話をうかがいました。

1.街の法律家として新潟の企業の力になる

1.1 肩書は「新潟の会社の社外法務部」

司法書士といえば、事務所にいながら、ひたすら登記のための書類作成をしているようなイメージを持つ方も多いでしょう。実際、事務所によっては、そのような仕事ばかりをしているところもあります。

一方、田村さんは一般的な登記業務に加えて、企業顧問として法的なアドバイスやサポートを行う業務に力を入れている点に大きな特徴があります。

1.2 トラブルを起こさせないのが仕事

そんな田村さんも開業当初は、登記業務を中心に考えていました。しかし、司法書士として中小企業の社長や個人事業主と関わる中で、求められているのは法的なサポートやアドバイスなのだと気づかされたと言います。

「企業の中では色んなことが起こっていて、日々の活動には常に何かしらの法律が絡んできます。でも法律の知識を持って適切に対処できる人材を社内に持つ中小企業は多くありません。だから契約書一枚を作るのも怖いみたいなんです」

時には、顧問先企業が外部と行うメールのやり取りにまでアドバイスをします。トラブルを起こさないために、法的な知見をもとに日常から細かなサポートを行うのです。

今はインターネットで探せば、誰でも簡単に法律に関する情報を得られる時代かもしれません。しかし、情報が溢れている時代だからこそ、何が正しい情報かを教えてくれる田村さんのような存在は、中小企業の心強い味方となるのです。

新潟の会社の社外法務部、司法書士の田村芳枝さん2

2.辛い思い出の多かった会社員時代

2.1 極端な上下関係に苦しんだ法律事務所時代

田村さんが法律に出会ったのは大学生の時のこと。新潟から上京し、都内大学の法学部に通いました。

大学時代の成績は優秀。当時から法律の勉強はとにかく面白く、自分の肌に合っていたと言います。卒業後は、好きな法律を仕事にしたいと考え、都内の法律事務所に就職しました。

入所前は「法律の勉強をしながら働ける夢のような環境」と思っていた田村さんでしたが、すぐに厳しい現実を突きつけられることになります。

新人の仕事は書類の受け渡しをするための「お使い」のみ。事務所とクライアント、裁判所などを行き来するだけで、毎日が過ぎていきました。

誰にでもできる仕事しか任されず、自分の存在意義を見出せない中、「私が一番偉いんだから、文句を言わず何でも言うことを聞け!」という所長のひと言で気持ちが切れてしまい、入所後数か月で退職を決意します。

2.2 休みなく働いた保険営業時代

法律事務所を退職後は、地元新潟に戻って畑違いの保険会社に就職をしました。就職説明会では、経営や金融の専門知識をもとにお客様の相談に乗る「コンシェルジュ」としての募集だったそうですが、入社後の仕事は営業職員そのものでした。

ここでも入社前後のギャップに心がくじけそうになりましたが、自分のできることを最大限やりきることを決意します。

平日は、朝から晩まで商談のため新潟全県を車で回り続け、本来休日であるはずの土日も、翌週のアポイントのためお客様に電話をかけ続けました。

過酷な仕事環境でしたが、老若男女、様々なお客様への営業を経験したことで、後の司法書士としての活動に生きる「相手にあわせてわかりやすく伝えることのできる会話力」と「決して諦めない心の強さ」は、この時に身に付けることができました。

2.3 転機となった保険代理店への転職

保険会社で4年間走り続けた田村さんでしたが、このままの働き方では、いつか限界が来ると感じ、次は保険代理店として窓口相談を行っている会社に転職をしました。

ここでは仕事仲間に恵まれ、福利厚生もこれまでの会社とは比較にならないほど整備されていました。プライベートでも結婚と第1子の出産を経験し、充実した日々を過ごすことになります。

しかし、育児休業からの復帰後に会社から求められる仕事と自分の求める働き方にギャップを感じるようになります。

出産後で体力がまだ回復していないうえ、育児で忙しくなっているにもかかわらず、会社からは以前と同じレベルでの仕事を求められました。

「営利企業であるため仕方のないこと」と理解はしていましたが、この頃から独立して稼いでいく道を意識することになります。

2.4 2度目の育休をきっかけに司法書士への転身を決意

第2子の妊娠と出産で再度、育児休業に入ったのをきっかけに、田村さんは独立のための準備を本格的にスタートさせました。

まず思いついたのが、資格を取って独立するということ。様々な資格を検討しましたが、「法律が好き」という自分の原点に立ち戻り、法律分野の資格に絞りました。その中でもっとも個人開業に向いているのは司法書士だという結論に至り、挑戦を決意します。

合格率4%前後で推移している難関の国家資格ですが、育児の合間を縫って勉強し、育児休業期間中に試験合格を果たしました。

新潟の会社の社外法務部、司法書士の田村芳枝さん3

3.志師塾との出会い

3.1 即独立が志師塾で学ぶきっかけに

司法書士試験の合格後、約半年間は登録のために所定の研修を受ける必要があります。その後、多くの人は先輩の司法書士事務所で一定期間勤務し、実務経験を積んでから独立を目指します。

しかし、勤務司法書士は柔軟な働き方ができず、家庭との両立が難しいこともあり、田村さんは未経験からすぐに独立することを目指しました。

独立の準備を進めるにあたって、一番の悩みが「集客のしくみがわからない」ということでした。志師塾の無料セミナーに参加したところ、自分の求めていることが学べると確信し、すぐに入会を決めました。

3.2 一番の収穫は多様な仲間に出会えたこと

志師塾のカリキュラムは一つ一つの内容が濃く、未経験から独立開業を目指す田村さんにとって、「どれも役に立つものばかりだった」と語ります。その中で一番の収穫は意外にも「多様な仲間に出会えたこと」でした。

お互いに仕事を紹介しあえることはもちろんのこと、様々なバックグラウンドを持つ仲間との対話を通じて、価値観を変えるような気づきを得ることができたのです。

「私は何か資格があって初めて独立開業できるものとばかり思っていました。それが志師塾には、資格がなくても自分自身の才能と経験を元手に商売をしている仲間がたくさんいて、それがすごく衝撃的でした」

司法書士として、それまでは決まった業務しか想定できていなかった田村さんでしたが、志師塾に入ったことで、枠にとらわれない様々な形での価値提供を考えられるようになりました。

3.3 もう一つの肩書は「ブロガー司法書士」!?

司法書士の枠にとらわれない活動を象徴するものとして、「企業に対してブログでの情報発信のノウハウを提供する」という独自のサービスがあげられます。一見、田村さんの経歴と関係のない分野のように思えますが、実は以前、趣味でされていたアメーバブログでは、常にランキング上位の人気ブロガーでした。

「ブログを面白く、かつ負担にならずに書く方法をわかりやすくお伝えして、企業に情報発信してもらう。それを司法書士である私が監修することで、法的に正しい情報であるということをアピールできると思っています」

昨今では、中小企業による情報発信も増えてきていますが、同時に、誇大広告にもなりかねないような内容の発信も増えてきています。それを是正することが、企業にも社会にもプラスになると考えているのです。

新潟の会社の社外法務部、司法書士の田村芳枝さん4

4.司法書士として独立

4.1 志師塾での学びがすぐに成果に

「どうせ独立するなら一日でも早く開業して実績を積んだ方がいい」という仲間からのアドバイスもあり、田村さんは志師塾を卒業する前に開業を果たしました。

志師塾で学んだことは、開業後すぐに顧問契約の獲得という形で結果に結びつきます。

カリキュラムに「1分間自己紹介」を作るというものがあります。1分間で相手の心を掴みつつ、自分の業務紹介をして、行動要請まで行うための自己紹介を作り込むというものです。

新潟での異業種交流会に出席した際、ある社長に「1分間自己紹介」を実践したところ、すぐに自分のサービスに興味を持ってもらえました。

保険営業を経験していたことで、対面での営業力に優れていたのでしょう。そのまま話が進み最終的には顧問契約に至りました。

4.2 「未経験からの独立」が逆に強みに

もともと集客のしくみを知りたかった田村さんは、志師塾で集客におけるWeb発信の重要性を学びました。ところが、開業から半年ほど経った時点で、Webからの集客に頼らずとも、対面で会ったお客様や紹介からの仕事のみでほとんどのスケジュールが埋まるようになりました。その要因については、こう自己分析されています。

「他の司法書士事務所で下積みをしていたら、これほど早く仕事を獲得できていませんでした。『師匠』がいないからこそ、お客様に対して柔軟な対応ができているのだと感じています」

一方で、今後も安定して集客するためにWeb発信は強化していくつもりとのこと。

「怠けていたら叱ってくれと仲間には言っている」と語るように、ここでも志師塾の仲間と励まし合いながら前に進もうとされています。

新潟の会社の社外法務部、司法書士の田村芳枝さん5

5.ひとりの人間として目指すもの

5.1 理想は人々を幸せにできる法律家

理想の将来像について聞くと、「相談してくれた人が幸せになれるような法律家になること」だと田村さんは語ってくれました。

「もちろん最後は法律をよりどころにするのかもしれませんが、『司法書士だから』ということには縛られず、ひとりの人間として困っている人の役に立ちたい。そして元気になってもらいたいと考えています」

このような思いを抱くには、大好きだったパン屋との思い出があります。

5.2 悔やんでも悔やみきれないパン屋の話

田村さんの地元新潟市には、「納豆コロッケパン」が全国的に有名で、とても人気のパン屋がありました。田村さんも常連のひとりで20年程行きつけでしたが、ある日突然閉店したことを知ります。

後継者がいなかったからだと地元の人の間では噂になっていましたが、別の理由があったのではないかと田村さんは推測しています。

「司法書士になってよくわかったのですが、たとえばM&Aなど、後継者がいなくても会社を存続させる方法はいくらでもあるんですよ。だから店主のおやじさんが疲れ切って、もう事業をしたくなくなったのではないかと思っているんです」

現在、そのパン屋があった場所は、雑草が生い茂った更地となっており、納豆コロッケパンを求めてやってきた人々による、かつての賑わいは見る影もありません。

5.3 ひと言でも声をかけていればよかった

今思い返すと、いつも店頭であいさつをしてくれていた店主が、閉店直前は店の奥から出てこず、疲れた様子で椅子に腰掛けている光景を目にしていたのだそうです。

「あの時、ひと言でも店主のおやじさんに声をかけていれば、少しは気を楽にさせてあげられたのかもしれない。そうすれば今は亡き納豆コロッケパンが今もあったのかもしれない」

そう思うと、今も後悔の念に駆られるのだと田村さんは話します。

5.4 今の自分にできること

パン屋の閉店は、田村さんにとって司法書士の受験勉強中の出来事でした。当時は、自分の知識に自信がなく、人に声をかける勇気がありませんでしたが、たとえ知識がなかったとしても、声をかけていればよかったと振り返ります。

「私の顧問先でも、話を聞いてあげるだけで社長がどんどん明るくなり、業績が上向いている企業がいくつもあります。何か特別な知識がなくてもできることは多い。だから困っている人がいたら積極的に声をかけてあげたいと思っています」

パン屋との苦い思い出があるからこそ、人々のよき相談相手となることを志向する田村さん。これからも枠にとらわれない活動で新潟の企業、そして街を幸せにしていくことでしょう。

文:田部貴大/編集:志師塾編集部

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